留学していたときに、国家論のゼミを履修していた。

中国政治が専門のドロシー・ソリンジャー教授の担当で、正統派の国家論(メタ国家論や比較政治論)から、

都市政治の国家論、フェミニズム、ポストモダン、何でもアリだ。

その内、ポストモダンの回にあたったのだが、これがもう、天地神明に誓って内容が分からない。

もともと外国語の素養がない僕にとって、毎週300ページのノルマは本当に泣きたくなったが、

この回は何が書いてあるのか、単語レベルでは分かるが文章になるとチンプンカンプンで

さっそく朝(日本時間の深夜)になると、宮城県七ケ浜町に蟄居していた宗前ミーに国際電話をかけては

泣き言(というか文字通り涙声)で苦境を訴え、月の電話代が5万円近くになったのも今は昔。

ポストモダンはこんな感じで展開する。

「セックス」とは、「セクシュアリテの知」であり、ひとつの「理解」であり、「ディスクール化された身体」をいう。

(山本哲士『ディスクールの政治学』、新曜社、1987)

ポストモダンがこんな感じで展開されちゃうと、こちらとしてはおろおろしていまう。

俺ってバカなんじゃないか

「セクシュアリテ」と「セックス」と「ジェンダー」はどう違うんですか?

でもこのへんは僕が本当にバカで、そのくらいの差を知らないからといわれれば

へい、ザル一丁ね!

と叫んで台所に引っ込むしかない。

問題は、

やれ「二次元空間の切片上に存在する権力」だの

「トポロジー的に同位相の権力過程」だの

「不確定性原理にも明らかな観察者の『権力』を郵便的に行使」だの

(文章は全部創作)

こうこられるとお手上げです。あ〜、中2のときに物理をもっとやっておけば

理数がニガテで文系という消極的な選択肢を取らずに済んだのに・・・

などと後悔しても遅い。

おまけに数学専攻してるやつらから哲学で言われてる数学はおかしいぞ、なんていわれても

「や〜、あれって比喩だもん、いいんじゃないの」なんて

分からないことを照れ隠しにするため、ポストモダンな人たちを擁護してみたりする。

あげく、「科学万能主義の保守派がサヨクをいじめてるんだ!!」などと解釈した日には

目も当てられないっす。

↑これは、ニューヨーク大学物理学部教授のアラン・ソーカルだ。

ソーカルは、政治的にはアメリカで珍しい急進派の左翼だが、

ポストモダンの衒学的な態度が大きらいで、いつかひと泡吹かせてやると思っていたようだ。

正確には、王様は裸だ、と指摘しちゃおう、ということです。

そして、その日はやってきた。

1996年、ポストモダン系の学者が集う雑誌、social text誌(46/47合併号)で、

「サイエンズ・ウォーズ」という特集が組まれたとき、

「境界を侵犯すること〜量子重力の変形解釈学へ向けて」という論文を投稿、

同誌のレフェリングを通過して掲載された。

ところがこれはパロディ論文なのだった。

内容的には全くの無内容で、ところどころわざと間違ったことを書いている。

さらにタチの悪いことに(笑)、

引用されている箇所はフーコー、デリダ、リオタール、クリステヴァなど

ポストモダニスト、カルスタ派の聖典なのだが、全部正確に引用されている。

聖典で言われていることを引用して、適当につなぎ合わせると無内容なものになるのは当然だが、

出来上がったフランケンシュタインみたいな論文を

Social Text誌は優れたものだと認めたわけだ。

このことによって明らかになったのは次のようなことだった。

1 ポストモダニストの大御所そのものがおかしい

2 彼らはまあいいが、追随者たちはわけもわからず言葉遊びにふけっている

2’その意味で、仮に大御所たちは1の意味で責任はなくとも、2を放置している意味では有罪だ

ということになろうか。

(この項つづく)

追記

この事件の全体像を日本語で知りたい人は

東北大学数学科助手の黒木玄さんのサイト

ソーカル事件と『知的詐欺』以後の論争

をお読みになるといいと思います。というか

あちきもここから情報仕入れてます。