4年生になる直前、西宮に住んでいる友人の所へ遊びに行った。「んで、ウドン(ソウマエのあだ名)は就職、

どうすんの?」と聞かれたので「え、俺、学者になる(から大学院の受験勉強だよ)」と言おうとしたら、「なる」

の「る」まで言ったところで相手が笑い出した。「ウドン、マジ?」

そう、研究しようかな、と思わない文系学生にとっては、「学者になる」と発言することは

「おれ、宇宙飛行士になるんだ」とか「おれ、科学特捜隊に入るんだ」

と言っているのと同じに聞こえるのだ。

百歩譲って作家になるとかミュージシャンになるのと同じだ。どうやってなるのか皆目検討がつかない。

もっともその僕にしても、院に行ってドクターまで進み、それなりに論文を書く必要があるらしい

ということは知っていたが、その後はきっと、夜眠っているあいだに枕もとにつるした大き目の靴下の中に

紙が入れられていて、起きてから

「わあ、サンタさんが東北G大学の辞令をもってきてくれたよぉ」

などと喜ぶのかな(東北F大学の場合は喜ばない)といった程度のイメージしかなかった。

ちょうど10年後、琉球大学の公募があり、連休明けに書類を出した。

この業界は徐々に採用が透明化されつつあり、

「なぁ、今度ウチで助教授を採用するんだが、誰か若くてイキのいいのはおらんかね」

「うむ、ウチに院生が一人いるが、キミのところでどうかな」

「オオ、そりゃいい、じゃ、来月から」

といった流れで就職することは少なくなったことが分かってきた。

書類は、履歴書と推薦状、業績一覧、決意発表などを沿えて、日時必着(当日消印有効)で郵送すると、

しばらくしてから面接の通知がくる。おカネのない国立大学は、当然、出願者全員に面接などはせず、

面接するということは有力な候補者二、三名に入ったことを意味する。

だから、その前に出願したH教育大学I分校の4月採用人事公募の場合、1月を過ぎて面接通知が来なかった

段階で落選の憂き目にあったと悟らなければならない。

3月に速達がきて、ワクワクしながら封を切り、その後ショックで口もきけなくなったなどということは、

ナイーブも甚だしいのである。

さて、面接は仙台で行われることになっていたが、その日はちょうど公共政策学会が京都で行われているので

ソウマエは仙台にいない。そこで、学会に出ているから場所か日付をずらしてくれと面接担当に伝えたところ、

「うーーーん」と押し黙ってしまった。

結局、京都で面接することになったのだが、公務員研修所で仕事をしていた僕は

「そうかそうか、出張命令の変更が面倒くさいんだよね、ウンウン、国立大学もお役所だもんな、

官庁ってとこは融通利かなくて大変だぁ」などと見当外れな同情をしていた。

あとで指導教授のカワトさんに面接の経緯を伝えたら、電話口で凝固しているのがわかった。

どうも、「ソウマエはいい年こいてブラブラしているから頭の回転は遅いとは思っていたが、

優先順位の判断もつかないほどのバカだとは思わなかった」らしい。

もちろん、面接の席上で相手に向かって「さん」づけしていた、とか、ちょっと遅刻したとか、

コーヒーのオカワリをしてお金は払わなかったとか、支離滅裂なことを話しつづけたとか、

ひっきりなしにタバコを吸ったとか、そういうことは報告することでもないかなと思い、言わなかった。

言ったらさすがに怒られたろう。

それでも就職できた《正確には就職できる場合がある》のだから、学者業界は恐ろしいところだ、と

最近になって思う。

だから、学生諸君、教授たちの言う就職アドバイスを信じるな!

教授たちは常識外れな就職の道(少なくとも江上さんや我部さんが紺のリクルートスーツ&レジメンタルタイをして

『面接の達人』を読んだりSPI検査を受けたりしているところなんて想像つかないでしょ?)をたどってきたのだ。

ただし、

22歳ぐらいで就職しなくても死なない

就職前に結婚してても大丈夫

夫の収入が妻より低いのもいいもんだよ(登川誠仁ふうに)

好きなことをして飯が食えれば、生涯賃金が銀行員の半分でも結構しあわせそうだ

といった空気を参考にする分には一向に構わない。