まったくよぉ、最近おもしろい本にばかり出くわすんで、ちっとも勉強に身が入らない。ことの始まりは美津濃の旦那からメール「佐藤正明の書いた『ホンダ神話』(文春文庫、2000年3月刊)がおもしろい」だった。自動車業界と鉄道の話をされたら今の僕にはとどめるすべがない。
話は現在セガの社長を務めるホンダの元副社長、入交昭一郎の退任から始まる。ホンダの勤務している友人に、入交さんが退任した当時「ホントはどうなの?」と聞いたところ、「いやー、体調がほんとに悪いらしいよ」といっていた。なるほどなるほど、ホンダは情報管理は厳密ですな。やっぱり平だとわからないわけね、と思ったことを覚えている。別に僕が真相を知っていたわけではないが、実力重役の退任の理由が健康問題だというのを真に受ける奴はいない。で、本田宗一郎=藤沢武夫の美談の実際はどうだったのか、というもっとも興味ある分析に入っていくわけだ。この本田藤沢コンビの伝説については、城山三郎がそれを真に受けて書いた「本田宗一郎との百時間」(講談社文庫)があり、一方で清水一行の「器にあらず」(角川文庫)では藤沢なまぐさ説を唱えている。佐藤の論旨は清水一行ほど藤沢を悪者にしていないが、城山ほどには能天気に神話を受け止めていない。要は、本田技研の発展に伴う様々なエピソードは、町工場から大企業へ、そして欠陥車問題に揺れながらシビックを開発するもっとも厳しい時期に社を一丸とさせるイデオロギーとして機能し、それを藤沢が人為的に作ったのだ、といっている。なかなかおもしろい。たしかにそうだ。本田宗一郎はアントレプレナーであり、技術屋を越えた存在だ。だいたい、一人の人間の開発能力で車が作れるなら、技術者たちをたくさん採用する必要はない。
佐藤の分析がおもしろいのは、ホンダは、二つの会社、すなわち「本田工業」と「藤沢商会」の融合体であり、前社長の川本はそれを完全に合併させた張本人だという点だ。自動車という産業は販売力と技術力のどちらがかけてもうまくいかない。車は道具であって道具でないから、マーケティングとそれを具現化する技術が必要だ。ホンダの場合、優れた技術という看板そのものが、ある種のニーズにこたえていたわけだが、それでは250万台の車を生産し、販売するわけには行かない。では今度はホンダはどうなるのか?それはジャーナリストとしての佐藤の仕事ではない。
佐藤は家庭用VTRの黎明期についてのドキュメンタリーもあるらしい。そんなこととはつゆ知らず、午後9時15分からのNHK新番組『プロジェクトX』を見たわけよ。先週は富士山レーダーだった。富士山レーダーを作った気象庁の藤原課長って、新田次郎のことだったのね。
この番組については、多くを語りたくない。まいったよ、まじで。要は、弱小会社だった日本ビクターの窓際部門VTR事業部が、本社の命令(事業部は業務用VTRに特化して、徐々に縮小していく戦略)に背いてまで家庭用VTR、すなわちVHS規格の開発に成功したかというストーリーだが、この事業部長高野鎮男は、まったく男の子である。常に部下を守ろうとする姿勢、いったん決意した戦略を忠実に実行していく度胸、情熱であらゆる職種の人間を巻き込む起業家精神、いるんだねー、スーパーサラリーマンは。
この番組に解説者として出演していたのが佐藤正明だった。うーむ、明日ダッシュでKINOKUNIYA BOOKWEBで『映像メディアの世紀 ビデオ・男たちの産業史』(日経BP)を買わないといかん!
放送が終わった午後10時00分15秒、マッサージから電話だ。ソーマエは涙目になっていて、鼻をグスグス言わせながら話したんだが、一致したのは、「この番組はドキュメンタリーの演歌だ」ということです。来週なんか青函トンネルだってよ!!
何が泣けたって、その後副社長にまで昇進した高野が、90年に退任して2年後ガンで死んだとき、彼の棺を載せた車がビクターの工場で全工場従業員が見送る中、長いクラクションを鳴らしながらゆっくりと進むシーンですね。このシーンは、岩手県沢内村の元村長、深沢晟男の葬儀を連想させる。深沢は、日本ではじめて老人医療費無料化を政策化(1955年)した男だ。彼が二期目の任期中にガンで死んだとき、村民のほぼ全員が村のメインストリートに並んで、無言で帰ってきた村長を迎えたという。高野と深沢、どちらもある特定の業界の有名人であり、決して世間一般に知られた人物ではないけれども、こういう死に方ができる人は選ばれし人だ。果たして僕も、ああいう死に方ができるのだろうか、自問自答する日々だ。
さてチャットでもするか。