もどっちまえ】【先頭にもどっちまえ

坂本君に「ソーマエさん、めっちゃ学習してますやん」と笑われながら今年も作成しました、政国ガイド2006。総費用はいくらか、ここだけでこっそり教えましょう。2000部フルカラー中綴じA4の8ページものです、紙はコート110kg。これがなんと総額八万円でした。とはいえ、昨年購入したアドビのイラストレーターCS(アカデミック)代金3万円は別です。また、これを作るのに要した労力もまたPRICELESS。小生の研究に要する機会費用は甚だ低いので、VALUELESS、なのだろうか。

職を得てから思うのは、学生の受け入れに関することに要する時間コストが余り気にならない。それは結局、望ましい選抜を行うことが、あとあと、つまり教員としての僕の生活をラクにしてくれるからだと思うからだ。琉大に入学してくる学生は、学部を問わず概ねよい学生たちで、例えば共通教育の授業でストレスを感じたことが全くない。その意味ではどういう学生が入ってこようと、それほどイヤな思いをすることはないが、それでも政治学を学ぶというのはなかなか大変なことだ。

政治学は油断していると規範的議論に流れてしまう。規範性を持たずに政治学など学べはしないが、とはいえ学部生の段階で、大学でないと教授できない機会というのは、そうした規範性を研ぎ澄ますことではないと僕は思っている。そうではなくて、クソ実証のお作法を叩き込み、そうした外枠を意識しながらそれでも政治を分析していくと、どうしても言わずにおられない問題があることに気付くことが教員から学生に対して渡せる最大の貢献ではないだろうか。

その点で言うと、新入生を選ぶに際して、二つの前提条件が必要になる。第一に書けること、書く意欲があること。これはセンター試験では測り取れないが、一方で基礎的学力なしに好き勝手を書かれても困る。書ける事は読めることの反映でもあるから、英語の試験を課したり、小論文の試験を課したりしている。その際、できるだけよい問題を受験生に課すことが重要だ。良問は選抜それ自体を機能させるからだが、同時に過去問は大学が受験生に対して発する最大のメッセージであって、我々が考える「良問」は、それ自体が受験生に対してどういう勉強をして欲しいかを伝えていることになるのだ。

第二の条件はヘンであること、だ(笑)。だいたい高校生のくせに政治ヤリタイなどと考えるやつはヘンだ。イカれた高校生のなれの果てである私たち教員は、そうしたヘンな学生と一緒に大学生活を過ごしたいと思う。ここで言う「ヘン」とは、一度喋り始めると際限ないとか、このご時世に尖閣諸島問題やら北朝鮮問題に興味を持たず、いまだにアパルトヘイトの遺制が気になって仕方がない、とか、ストイコビッチの奥さんがベオグラードで経営しているブティックのホームページを躍起になってググったりとか、まあ、そういう気質を持っている人たちを指すし、また、現にそうでなくても、そういうのってイイヨネ、と考えちゃう人だ。細かすぎて伝わらないモノマネ選手権を欠かさず視聴する気質といってもいい。

大学に入るというのは、高校生の目線から見て「新しい世界に進むこと」を意味する。知識の蓄積から知識の展開へ、何かのためのステップから、それ自体として意味があるものへ、模倣から創造へ、そういうことを高校生たちは期待していると僕は考えた。だから、大学が学校を宣伝するときには、学生に媚びないほうがいい。ちょっとタイヘンそうだな、でも憬れちゃうな、というぐらいでないと、大学に対する「信頼」を持って入学してきたりはしないだろう。政治学をはじめとする文科系の学問は、それ自体として社会人になったときに役に立ったりはしない。けれども、役に立つか否かを無視して問題を深く深く考える機会は、社会に出ると意外に少ないことはマーチやオルセンらが言うとおりだ。時間は金、リスクはロス。だから職業人としてルーチンに沈むと、深い思考の奥底からやってくる新しい発想を浮上させることは難しい。自負の念をこめて言うならば、そういう機会を多くの人に幅広く提供できるのは大学を置いて外はないとすら思う。

私たちのガイドでは基本的に三つのメッセージを同工異曲で伝えたつもりだ。(1)私たちの専攻ではラクはできない(2)大学の勉強は地道な作業の連続だ(3)政治学を学ぶのはそれ自体が楽しい、ということだ。私たち(←ここポイント、って藤村君の真似)がやっている学問分野はITだの英語だの資格だので高校生を惹きつけることができないし、またそういう必要もないと考えている。飛び道具を使って高校生たちを誘うことは、学問と彼らを愚弄することだ。それは僕だけが考えているのではなくて、10名という程よい規模のファカルティに所属するおのおのの教員が等しく考えていることだ。だから、ガイドで展開した三つのメッセージは、キレイゴトではなく、本当に我々はそう思っている。そのようにカリキュラムを組んでいるし、だから自信を持ってブレずに「うちの専攻はこういうトコですよ」と断言できる。したがって入学した後に「ハナシが違うじゃねーかよ!!」と学生が失望することはありえない。政治学に楽しみを見出せない学生は、誰かのせいにすることなく、単に転専攻したり転学したりするだけで、それはそれで彼らにとっては悪い決断ではないと思っている。

冒頭の話に戻るが、八万円でできる広報というのは、要するに自分たちで決断できるレベルの決定であり、その内容は自分たちでコントロールできる。文部科学省にも大学理事会にも頭を下げず、自分たちの教育に対する思いを私たちの顧客である高校生にそのまま伝えることができるので、精神衛生上はなはだ宜しい。職を得ていれば自ずと種々の作業がまわってくるが、どうせなら自分でやっていて徒労感のない学内行政事務をするほうがラクだ。そういうわけで、「入試と広報はソーマエにね♪」というオーラを発し続けてこの仕事をやっているわけでした。

それにしてもオープンキャンパスで我々の説明会に集まった高校生諸君、キミタチは最高だなあ。