もどっちまえ】【先頭にもどっちまえ

 

遠くワシントンの地で勉学に励む藤村さん、お元気ですか?僕は元気です。

と、無意味に名前を出してヒット率を上げようとするのは各地方に満遍なく気遣いをするNHK朝の連続ドラマのようですね。

最近、新任教員のいたみ君から教えてもらった山田さん@関学のブログを読んでいるのだが、これがホントウに面白い。文体はあくまで軽く、内容はびしっと決まっていて、しかもところどころ笑いのツボまであるのだ。うらやましい才能です。彼のココログに掲載してある文章では「政治学は役に立たないか?」が一番沁みました。まさに共感の一文です。

ところで最近、地元紙に月イチで連載を始めた。字数は概ね1200字で、僕の場合は地方自治に関してなんか言え、という御下命が下されているのだが、まあ自治に関して学者が言うことはだいたいフォーマットが決まっていて「市民」「自己責任」「討議」といった三題話に多少のバリエーションを交えれば書きあがる。しかしそれだけでは面白くないので、少しヒネた視野でも入れてみるよう心がけるわけです。

厳密な定義はさておき、「市民」が「討議」をして「自己責任」で地域の将来を作り上げていく、というのは住民自治に関して多くの専門家が持っている原イメージだと思う。それをそのまま番組にしているのが松下圭一先生ご推奨、NHKの「難問解決!ご近所の底力」だ。これはとてもいい番組ではあるのだが、しかしこの番組に問題解決を依頼してくるほどご近所に一致団結した力があるのなら、それは既に問題の90%は解決しているのではなかろうか、と思う。自治体職員がアタマを痛めているのは、そもそも集まってくれない、という点なのだ。

いたみ君流に言うならソーシャルキャピタルよりシビックパワー、ということなのだろうが、シビックパワー自体が独立変数というよりも従属変数のように思えてならない。何がある地域のシビックパワーを強めるのか、それ自体が社会経済的変数なのではないかと思うが、「オイオイソーマエちゃん、それはケイザイケッテー論だろ!」といわれたらそれまでですね。ああ、俺にもピンク色のシャミンの血が流れているなあ、と詠嘆でもしておきます。

話をもとに戻せば、これだけ価値観が多様化し(もう少しドギツイ言い方をするならば社会内格差が広がり)つつある中で、負担はするからもう少し質の高いものをという人もいれば、その逆もいる。こうした中でスイスの小州における住民集会のようなイメージで住民参加を語っても、あまり意味のあるものにはならないと思う。例えばある種のハコモノ建設のような場合には、ヤル気のある少数の自発的参加者が一堂に会してワークショップでもやりながら計画を煮詰めていくというケースもあるだろうが、迷惑施設の建設であったり、公金の再配分に関わる事例でそういうやり方をするのが必ずしも正しいとは思えない。

僕の父方は奄美の出身で、叔父たちが今でも沖永良部島に住んでいる。沖永良部島・与論島の三町合併が議題に上がったとき、普段はそれほど政治に関心のあるように見えない身内の人々が、結構なテクニカルタームを駆使して合併論議をしていた。これだけ見れば「いやいやシミンの皆さんをバカにしちゃいかん」と啓蒙ライクなことでもいいがちになるが、1)へき地においては公的決定は私的生活に与える影響が大きい 2)合併はルーティンな決定ではなく、一種の「祭り」状態になっていた のだから、こうしたケースはやっぱり例外なのだと思う。

各自が社会生活を送る中で、公的決定に払う関心など実は高が知れている。ダールも言ったように、政治はサイド・ショウなのだ。そうした限界を踏まえつつ、ひとはどのように自治について学習し、知識を高めていくのか、なかなか興味深い題材だと思うので、今後も小生は地方自治について勉強していこうかな、とかように思っているわけです。