以前、社会正義を発揮する宗前ミーについて日記に記載したところ、多くの方々(特に旧姓・待兼五郎さん)よりいくばくかのご関心をいただいたのですが、このGW期間中に私ども一家は所沢の実家へと遊びに行っていた際にも似たような状況が発生しましたのでここに謹んでご報告させていただきます。
GWというのは宗前のように実家が首都圏にあって現住所が地方である場合、帰省する方向が多くの人々とは逆なのでそれほどストレスが溜まらずに移動できます。でもって、ANAマイレージクラブ様のご好意で、「いっしょにマイル割」というとてつもないチケットを入手することができました。つまり、小生が10,000マイル払えば、同行者は三名まで片道一万円程度で旅行が出来る、というシロモノです。GW初頭の羽田、大阪など主要都市発と、GW終盤の主要都市着は購入不能ですが、我々はGW初頭に羽田に着き、GW終盤に羽田から帰るのでこの規制に引っかからず、しかも席も充分にあるわけでして、ああ、マイルを貯める修行の日々も役に立ったなあ、と詠嘆しつつ、B747-400二階席でまったりとする我が一家でありました。大きい人(当山小学校二年生)や小さい人(安里第二幼稚園クイナ組)は「ひこうきのおねえさん」からピカチュウグッズをいただいて大満足です。
一泊目は竹橋のKKRホテル東京に宿泊し、翌日より一路所沢へ。この間、川越まわりでさいたま市のさいたまスーパーアリーナ5階ゴールズジムなどに通ったり西武園遊園地へ遊びに行ったり杉並に住む妹夫婦の家に居候したりします。
さて電車に乗るとまず宗前ミーは座ることができません。漁村で育った彼女はDNAに労働遺伝子が組み込まれていて、着席すると具合が悪くなってしまうのです。その代わり、車内をぐるりと睥睨したのちに、ご年配の方やら妊婦やら乳児連れを特殊センサーでサーチし、相当離れたところに立っている人であろうとも「宗前さん、ちょっと席とっておいて」と言い残し、秒速30万キロ(この間、特殊相対性理論が予測するとおり時間の経過が遅くなる)でターゲットに接触するや否や「お座りになりませんか?」と勧誘するのです。
首都圏で生まれ育った小生の目には、身の回り半径五メートルぐらいであれば席を譲ろうかな、という対象になるのですが、二つ向こうのドアに立っている子連れは想定外です。これは利己的かどうかというよりも対人関係の距離感に依拠するもので、当然声をかけられた人にしてもそんな死角から席を譲られるとは思っていないので、「えっあっあのいえいえ結構です」とビビっています。それでも「まあまあそういわずにたいへんですからどうぞお座りください」というミー善意光線によって多くのターゲットは強制的に着座させられるのでした。
同じJR東日本営業管内でも、例えば仙石線においてはたとえ205系のような通勤型電車であろうともミーの行動は違和感がないのですが、都心で彼女のような行動をするというのは相当目立ちます。つまり、ロングシートに座っている人がわざわざ立って、斜めに移動するという動線が通勤電車内においてはありえない動きだからです。とはいえ、結婚を期に1997年5月から本籍地が宮城県となった小生は、大学入学以来20年弱を仙台や福島や沖縄で過ごしているので彼女の距離感も理解できるし、「街」の距離感もかすかに残っています。そして、どちらかといえば彼女の距離感に共感する部分が日に日に大きくなっています。
休暇ですごした東京の五日間で目立ったのは、街の距離感ではなく、実は他者への想像力でした。「街の距離感」を完全に保持している人なら、自分の狭いレンジに入ってくる他人を意識し、その反対も自覚しているはずです。にもかかわらず意外に多くの人は他者への距離に鈍感なのです(例えば、地下鉄東西線の車内で俺たち家族が降りようとしても一ミリたりとも動こうとせずに目の前で突っ立っていたアホ面OL二人組、キミタチだよ)。
もう街には住めないねえ、となんだか山男の唄みたいな自分を発見した短い休暇の日々雑感でした。