もどっちまえ】【先頭にもどっちまえ

沖縄から県外に行くということは必ず飛行機に乗らねばならないので、ソウマエ、マイレージの鬼と化して昨年はついに年間50回搭乗を達成しました。全日空のFFP規定のよると、年間50回搭乗かつプレミアポイント30,000点(だいたい15,000マイル搭乗)の両条件を満たせば、ゴールド会員になれまして、小生ついに憧れの空港ラウンジ無料利用権を獲得しました。さああああ、これでフライト前はビール飲み放題です。羽田空港の全日空signetラウンジなど、平日の7時ごろはどこの「つぼ八」ですか!状態で、スモーキングセクション内はもうもうと立ちこめるタバコの煙、飲み干したビアグラスの山、おつまみナッツ袋の散乱、どわはははっの哄笑の嵐です。

ちなみにワタクシ、ちょいと代謝系が健康すぎて、ビールを飲むとたちまち近くなってしまいます。しかもその近さはハンパじゃない。フライト20分前にラウンジでトイレ。乗り込んですぐトイレ。それだけ万全を期していざ離陸したのち、20分もすれば水平飛行に移ってベルトサインが消えるのに、10分もすればすでに機内タップダンス状態です。昨晩やっていた「座頭市」のエンディング、The Stripesにも負けぬ激しいつま先horizontal振動。ドムドムドムドムと、シンセバスドラが脳内に響き渡りますが、あんまり響くとあううううう、かっ、下半身に響いて漏洩しそうです。

宗前ミーに相談したところ、それは心因性のもので、緊張するから膀胱が収縮してちょっと溜まっただけでも「ママ〜、オシッコ〜」センサーが作動しているのだ、と甚だロジカルな説明を受けました。そっか、本当はそんなに溜まっちゃいないのね、と思いながら、しかしどれほど自分に対して「こっ、これわぁあああああ、ほっ、本当のニョニョ尿意じゃねえ・・・・ッンだよォ」と説得を続けようとも寄せるさざなみ、進まぬ秒針。あふれる涙を抑え、ついにやってきました、「ポーン♪ベルトサイン消灯」。脱兎のごとくトイレに行きましてOSを立ち上げますと、出るわ出るわ。警察の報償費開示請求のようです。明け方の光ファイバー通信じゃないんだから、こんなにスルー・プットがよくても困ります。そういうわけでフライト前・フライト中はお酒厳禁です。

まあしかし、旅行中は新書や文庫を大量に読めるのがうれしいです。以前はスーパーシートに乗って仕事をしていたのですが、最近は研究書を開いて第一行目を目で追いますと、「This article tries to examinnnnnn...e...tha...t popopopoli...cy...........」ともう眠っています。そこで那覇空港の書店で本を買い込み読み始めると、大体一泊二日で五冊ぐらい読めるので、これが貴重なネタ仕入れ時間になるというわけでした。今回読んだうち特に面白かったのは、重松清『スポーツを「読む」』(集英社新書)でした。故・山際淳司から始まり、沢木耕太郎、ロバート・ホワイティング、玉木正之、関川夏央、二宮清純、金子達仁、増島みどりなどなど、ソウマエの大好きなスポーツライターを概ね四ページずつ批評する本だったのです。巻末に、厳密にはスポーツライターの範疇に入れられない数名が入っていたのが気になった。それはターザン山本であり、浅草キッド(お笑い男の星座2)だったりするのですが、吉田豪という名前に惹かれて少し読み進むと、これは確か以前、永江朗が『インタビュー術』(講談社現代新書)で扱っていたあの吉田豪だ!と気づきました。

吉田豪は30歳ソコソコの若手ライターですが、すでにインタビュー者としては伝説的な地位を築いており、それは『男気卍固め』での仕事によるところが大きいようです。浅草キッドが梶原一騎先生への愛着を隠さないように、どうも最近、70年代男汁満開系がキテいるようで、しかも僕はそういうのが嫌いではないので『男気卍固め』の「男気」と「卍固め」の二つのキーワードにイキナリノックダウンです。男気は「侠気」とかかないでいるほうがオトコギに残るイカガワシサが維持できるのでいいですね。卵も「玉子」と書いたほうがいいのと同じです、って同じじゃねーよ。

吉田豪はテレビ雑誌に連載を持っていたころ、山城新伍、ガッツ石松、張本勲、小林亜星、さいとう・たかをらにインタビューをしてそのうちの山城ら五本のインタビューを単行本化したのが『男気〜』なのである。永江朗は「テレビ番組情報誌を購読する読者の中に、山城新伍や小林亜星に関心を持つ人がどれだけいるのか、このへんからしてすでに吉田のわがままさが現れている」と書いているが、この書き方自体がすでに「まったく吉田っつーのはしょうがねえよなあ・・・(苦笑)。だからこそ才能全開なんだけどな」という永江の肯定的評価が透けて見えるではないか。いや、僕も実際、なんだよこの五人の配列、と思ったし、水道橋博士の書評によればこのほか畑正憲(ムツゴロウ)、西川のりおまで載っていたんだそうだ。七人となるとどんな共通項があるんだか、他人の僕にはまるで分からない。分からないけど、しかしなんかありそうで、書店で見つけていたらすぐさまこの本を買っていたのは間違いない。そう、まだ読んでないんだよ〜。

今日書きたいのは実は吉田豪の話ではない。吉田豪のクリティークとして、重松清と永江朗という二人の秀逸な批評家がいることを書きたいのだ。スポーツライティング自体がクリティークだから、重松と永江はそのまた一段上から見ているメタ・クリティークということになるだろうが、そういうことより、重松本も永江本も、結局「こいつら(の作品)が好きだ〜」という気持ちをできるだけ他者と共有できるようにカキコトバを用いて表現している、という話をしたかった。

重松は「『会って話を聞く』ことの喜びが、吉田豪のインタビューにはあふれている」というし、永江は「いわば仮説と検証という作業を吉田はやっているわけで、考えてみるとこれはジャーナリズムやアカデミズムの世界ではもっとも基本的なことである(略)ときには『外道』のように見えるかもしれないが、吉田の方法論はきわめて基本に忠実」だと評価する。彼らが吉田のどこを好ましいと思っているか、というところから、彼らが「文章で表現をする際にもっとも大切なこと」を何だと思っているかが見えてくる。

重松は「喜びを伝えること、共有すること」、永江は「綿密なその人の『世界』を提示すること」。それぞれが大切にしているポイントを吉田の書いたものから彼らは見出した。

いまはない『噂の真相』に連載されていた永江の「メディア異人列伝」は僕の好きなインタビューで毎号欠かさず読んでいたし、重松がスポーツについて語る視点はいつもまっとうだな、と前から思っていたけれど、彼らが自分の方法論を直接語ることはあまりない。職人はネタバラシはしないものなのだ。しかし、自分の評価する書き手は誰か、という話を通じて、彼らが何を大事に思い、どういう手法で対象に切り込むのかが分かるのは(単に舞台裏をのぞきたいという下世話な好奇心を超えて)知的興奮を呼び起こす。

毎月飛行機に乗って県外に旅行に行くたびに、今度はどんなアタリ本に会えるのか、いつも楽しみだ。本に没頭している間は急速に膨れ上がる尿意も忘れられるし・・・尿意???ああああっ、そういえば俺、おしっこしたか「ポーン♪ベルトランプ点灯」

うぞっ!!!!