ありませんよね、普通。でも僕は学生時代、何かあるとすぐ言ってました。
ところで僕は将棋が指せません。指せませんが、将棋界の話は大好きです。米長元名人などはあまりにも突発的なことを言う(例えば有名な「兄たちはアタマが悪いから東大に行った」など)し、また彼の勝負観はとても惹きつけられます(例えば「重要な一局とは、自分にとって進退がかかった一局ではない。自分には関係ないが相手にとっては進退のかかった一局、こういう将棋こそ全力を挙げて勝たなければならない」など)。そういうときに、米長元名人はタイトル戦でもないのに和服を着て万全の体調で臨んだりするのです。実に素晴らしい。
最近、元気がなくなると大崎善生の『聖の青春』を読み返します。故・村山聖(むらやまさとし)九段の伝記ですが、師匠の森信雄六段や羽生名人、そして大崎自身とのかかわりを通じて、不世出の天才棋士と呼ばれた村山の人生を余すところなく書いた名作だと思います。
この本にはいくつか好きなシーンやセリフがあります。内弟子時代の村山が体調を崩し入院している中で、森が眠っている村山を見つめる。白一色の病室の中に光が差し込み、「夢の中の風景のようだな、と森は思った」ところ。将棋会館で難解な局面の検討を奨励会員たちとしているときに、当時名人だった谷川浩司が立ち寄り、あっという間に結論づける。皆が谷川の凄さに圧倒される中、村山だけは谷川の去ったあたりをにらみつけながらこう思う。『僕はあの男を倒すためだけにがんばってきた。そのために生きてきた。待っておれよ谷川』、と。
そしてその強い想いは九段陣も驚嘆させる深いヨミに支えられています。あるとき優劣不明な局面を、関西将棋会館で内藤たちが検討している。詰めろをかけた側にはたっぷりと持ち駒があり、アレコレつついたあげく内藤が詰めろは詰めであると結論づけたとき、村山が「詰めはありません」と断定します。内藤たちは何を言うのか、と思いつつ再検討すると、なんと幾重の受けがあって結局詰まないのだ。内藤が言う。「詰まん。村山君という奨励会員の言う通りや。いや大したもんや。」
この本を読んで、村山・贈九段が健康だったらなあ、とまずは思います。しかし、村山は健康でなかったからこそあそこまで自分の生を突き詰めたのかもな、と思うし、それは破滅のアマ棋士、故・小池重明にも通じるところがありそうです。結局のところ、飛びぬけた才能をもつものは、その才能ゆえに運命の指し示すところに赴いてしまう。彼の歩む道は即ち自分の運命そのものであり、残された命が少ないからこそ、村山は妥協を排した生き方をしていきます。
凡人の僕、そしてキミ!はたして残された時間はいかに?「じゅぅねーん、にーじゅぅーねーん」ですか?