WATERBOYSでは進藤勘九郎が素晴らしいリーダーシップを発揮していくわけですが、そしてまた、ウチナーの血を引く山田孝之は眉毛が濃くて、男の僕から見ても惚れ惚れするほどカッコいいのですが、中部病院の歴史も山田孝之や野茂、ボーイング777-300に負けず劣らず素敵なものでした。
僕は地方自治の研究や政策評価の研究をしていく中で、政策にはストーリーが必要だ、と痛感するようになっています。ストーリーには「鉛筆を舐め」たものを入れてはいけません。あくまでもバックデータによって裏付けられ、かつまた政策が着実に実行されたときに浮かび上がるビジョンが明快なものでないといけない。しかし、机の上でプロット組んで段取りをアレコレ夢想して、あとは気合で実行だぁ〜、現場や出先、現業の皆さんヨロシクね!!とばかりに手を汚さずに推進できれば苦労は要りません。先進事例というのはいつでもそうであるように、血と汗と涙が染み付いたものなのです。
来る4月から、全共闘運動の中で廃止された卒後医師実習制度が制度化されます。医学部を卒業した医師たちは、様々な病院でインターンとして2年間、実務を習うのです。かつてのインターンは非民主的な配属と無給というひどい制度で、これを廃止せよと迫った当時の運動は当然といえば当然ですが、医療のように高度な技術を要求される職業で、実習なしに免許がおりるというのもオカシな話ではあります。もちろん、この間レジデントという実習制度が事実上のインターンシップとして機能してきましたが、研修内容という点で考えると研修先進国アメリカなどと比べればその評価はあまり高くありませんでした。医学部のジッツ(系列)問題もからんで、本当にいい病院でいい研修を受け、研修内容の競争が医学教育全体の質を上げていく、というような競争メカニズムも十全に作動していたとはいえないように思います。
今から10年以上前、日本テレビ系列のドキュメンタリー番組を見ていて、国内で(当時)唯一アングロアメリカンシステムの研修を実施しているのは沖縄県立中部病院である、と知りました。中部のシステムは、各科を巡回して研修することで総合医を育て、優れたプライマリーケア能力を養成することにある、といった趣旨で紹介されていました。全医師のうち3割がレジデントだ、と聞いて、こりゃあすげえ、と思ったものです。googleで「中部病院、研修、エクスターン」などと検索語を入れると、自治医科大学の学生が書いたエクスターン(短期の見学的実習)の感想文を発見しました。彼によれば、中部病院はかなり多忙なので、分からないことを正規職員である医師に聞くと「あとでね」と言われる代わりに、後でそれはそれはキッチリ教えてくれる、ということでした。
そう、実習生を抱えるということは、ベテランの労働効率が落ちるのです。仮に一人のベテランに二人の実習生がつくと、「ふむふむ合計三人か、ま、実習生は0.1人前として、それでも1.2人分の仕事はできるだろう」といいそうになりますがそんなことはない。実際にはベテランの1人前労働力が0.7人前ぐらいに落ちます。実習生はゼロです。だからヘタをすれば三人もいるのに、ベテランが一人でサクサク仕事をしているときより効率は落ちるかもしれない。そんな中、普通なら「テメーで調べとけ!そんなこともわからないのか!!」と怒鳴ってしまってもやむを得ないのに、それでも丁寧に教える姿勢を厭わないのは、この病院の中に研修の文化が完全に根付いていることを意味します。
厚生労働省はこの4月からの新研修システムの形成に際して、中部のシステムを徹底的に研究したと言います。また、中部病院の安次嶺院長は、全国の医学部卒業生は7000人しかいないのに、レジデント試験は応募が200名を超え、倍率は10倍近かったとおっしゃっていました。
この沖縄県に、医師の世界ではカリスマ的人気を誇るシステムがある。
人、ではなくて、システム、というところに僕は激しく胸を打たれました。人ならたまたまカリスマ的な存在が出ることはあるかもしれない。それは多分に偶発的なものです。だけど、システムが全国最高レベルを誇る、ということは、そこに至るまでに無数の努力の積み重ねがあったことを意味しているのです。
沖縄で育ったレジデントシステムは、実は窮余の一策に近いものだったようです。復帰前の沖縄では、県内に医学部がないので国費沖縄学生制度という内地への留学制度がありました。成績の優れた県内の高校生たちは、この国内留学制度を使ってヤマトの各医学部に散っていったのですが、卒後インターンを終えていよいよ沖縄に戻ってきてね、となったとき、あまりに劣悪な沖縄の病院環境に嫌気をさし、多くの県出身医師が本土に戻ってしまいました。情報の格差も大きく、かつまた医師の絶対数が不足する中で過酷な勤務が強いられる。初任の医師たちは自分たちの未熟さを(まじめな人ならなおさら)自覚して、もっと勉強しなくては、勉強したい、と思う。けれども県内にはそうした要望に応える仕組みがない。Nターンしてしまう県出身医師たちを見ていたフラッグシップ病院たる中部病院は、米国民政府や海軍病院の支援を得て、医師養成システムの改革に乗り出したようです。沖縄に必要な医師は研究医ではない、総合医だ。じゃあそのためには何をしなくてはいけないか、どう育てればいいのか。1960年代に始まった沖縄のレジデントシステムは、貧弱な設備などにめげずに一歩一歩着実に育っていきました。復帰を挟んで徐々に沖縄社会や経済が安定したこともあるのでしょうが、本土に舞い戻ってしまう医師も減り、地元に定着する率が高くなった頃、中部病院のレジデントシステムは国内医学教育の中で名声を確立していたのです。
日本一を目指したわけではなく、地元の医療ニーズに応える努力を誠実に行っていっただけなのに、気付いたら先頭を走っていた。しかし、社会的プログラムを組む、ということはこういうことなのだな、と思います。社会のニーズに丁寧に誠実に対応すれば、それでいいのです。日本一になってしまった、というのは、他の組織はそういう誠実さに限界があったことの証明でもあります。
次女が先天性の多指症で、1歳半になって手術を受ける準備が出来たとき、僕は迷わず中部病院を選びました。旧病棟は古くて傷みも激しかったけれども、病院の医療スタッフたちの親切な対応に、いい病院だな、とつくづく思いました。現実の中部病院は、医療事故やスキャンダラスな事件も生じるところで、決して完璧な病院ではない。しかし、そうした負の評価を含めて明らかにし、次々に手を打つ姿勢は住民としては本当に心強いものがあります。
政策科学の心を持った組織というのは、いいものです。彼らは「政策」なんて思ってもいないのに、結果としてどんな官庁で綿密に計算された政策よりも説得力のある公共サービスを提供している。政策を考える、政策を学ぶ、政策を教える。こういうことに携わる者として、中部病院というのはいつも粛然とした思いにさせられる組織です。