少し前のことですが、行政改革がらみの取材を電話で受けました。県庁が行政改革システム大綱を発表し、そこで02年度の成果(人員の削減や補助金の廃止による経費節減効果)を誇らしげに発表した、ということを受けて、本当にそうなのか、と疑いを抱いた某紙記者が電話をかけてきたのです。
疑いを抱くその意気やよし。来客中ですぐに応答できないのに、こちらの都合も聞かずにいきなり本題に入る無礼も、意気込みの表れと評価するのに吝かではないよ(ムカ1)。
まず、県の行革大綱の発表内容だが、ここをクリックしてください。特に、第2部:「V 廃止補助金等一覧」をご覧になると分かりやすいでしょう。ああ、でもAcrobat Readerも5.0になってからやけに重たいなあ。じゃあ、別紙の記事をご覧下さい。
こういう概略を見て、県が発表した行革の成果は、適正なものかどうか、充分に経費削減を行っているかどうかは、すぐには判断できるものぢゃあ、ありませんや。まして、真面目に判断しようとしたらかなりの時間と手間を食うことは間違いないわけで、「僕はその発表内容を知りませんので『先生はどうお考えですか』といわれても即答できません」と応えました(ムカ2)。パルマの中田よりはずっと丁寧な返答だと思うがどうでしょう?
すると「これから資料をお持ちしますよ」と言われました。だから、
そんな簡単に判断できねえっつーの!!
とまあ、こういうやり取りをしてくる以上、記者は政策評価のことはよく分かっていないようだと判断できます。「ちなみに、なぜ小生に取材してるんですか?」と聞くと、「政治学がご専門なので」との返答。しまった!政治学者は行政に一家言ないといけなかったのか。僕は日本政治学会から
限定解除の免許をもらっていない
ので、ちょっと行政に関わる発言はしにくいなあ、行政評価の機能については発言しても許されるんだけどなあ、と急に肝っ玉が小さくなりました。こんなことなら行政学会に入会しておけばよかった、と悔やんでも後の祭りです。
そこで、事後的にある政策の効果について判定することは簡単なことではないし、記者が想定されているように、ある補助金が終了しても同種の補助金が新設されている可能性もあるが、それを一つ一つ検討していくことは僕にはできません、今すぐには、と愚見を申し上げ、また、数字による達成効果を掲げることは当然ではあるが、それがどのような意味を持っているのかを判断するのはそれなりの熟練を要する、と一般論を述べました。
ちょうど、体温が37度5分から37度に下がったときに、その「下がり方の意味」は状況に依存するし、熟練がなければ判断もできない、というのと同じですね。残念なことに、政治学者は必ずしも行革に現れた数値を即座に判断できるようなスキルを持っているわけではないのです。
あわせて、総務省による起債の交付税措置の問題と沖縄特有の高率補助の問題もお話しました。つまり、100の買い物をするのに、70は補助してくれるとします。100という値段は高いので、値切ったり、ためらったり、まあ、それなりの気合で買い物に臨むだろう。ところが、補助が入るとモラルハザードがおきやすく、どうせ補助してもらえるし、とばかりに「30の値段のものを買う気安い態度」で臨むかもしれない。あげく、交付税措置で自己負担分(=30のこと)の半分とか三分の二を起債(=借金)で賄い、その元利償還分は翌年度から交付税に上乗せされるとすると、実質10の負担で100の買い物をすることになるわけです。これはますますモラルハザードがおきやすい、そういう意味で、復帰特別措置による高率補助が続いている沖縄では、歳出削減の意欲が若干薄いのかもしれないし、また、国直轄事業などは(財布の出所が違うのだから)まったく無関心ですよね、とお話しました。本来、公共事業の支出はオールジャパンで取り組むべき問題なのだが、という意味です。
その結果がこの記事でした(ムカ∞)。
僕には「数字の中身が一面的で県民に誤った印象を与えかねない」かどうかは分かりません。何しろ大綱の実物を見てないのですから。また、「半面、新たに増えた事業や補助金もあり、それらがどのように転換されたかは、今回の行革実績では見えない」のはまさにそのとおりですが、それも県庁が「見えるようにしろ」ということなのでしょうか?むしろ、ジャーナリズムの本質である調査報道investigating reportでは、そうした数字から意味を引き出していく責任は記者の側にあると思うのですが、どうも「見えない」「見えてこない」「声は届かない」といった表現を使うと、とりあえずの責任は果たせた気になるのかもしれません。
締め切りに追われる以上、本格的な調査分析まで記者に負わせるのは酷ですが、せめて「総額として補助金がどう増減したのか、一覧にするべきだ」とか、「支出システムのここがヘンだよ、沖縄県」とか、そういう踏み込みがあってもいいと思うのですが、この記事の執筆者は県政がどうあるべきだと考えているのか、
明確には見えてこない
なぁんて思わず社会の木鐸しちゃったなあ。