京都の関西行政研究会から帰ってきました。今回のレポーターは村松岐夫さんで、宗前は村松先生を5メートル以内の距離で見たのは初めてでした。しかし、以前から司馬遼太郎か村松か、と言われるほど見事な白髪の持ち主としては存じており、今回はライブトークはどんな感じなのかな?妙に甲高い声だったらどうしよう、といらぬ関心ばかり持って会に出たのでした。
村松さんは76年から国家エリート(官僚と国会議員)への意識調査を続けていて、今回は先頃ひと段落ついた最新のサーベイを元に、日本の政官関係の変容を探る、と言う主題で報告されました。
若手の研究者の場合は別ですが、ビッグネームの報告を聞くときは、僕はその研究報告それ自体に関心を持って聞くというより、この人はどういうイメージで研究戦略を組み立てているのだろうという目で見ることがほとんどです。そして、その点で言うと、今回の村松報告はつくづく出てよかった、と思う会でした。村松さんはしきりに「検証すると微妙だなあ〜」とか「雑駁な印象論だけどね〜」といいながら、およそ30年間に起きて来た政官関係への彼のマクロなイメージを披露していきます。しかも列席者からデータの根拠は何か、と聞かれると「まあ、危ない解釈だけどね」といいながらこの質問項目がそうだ、このデータとあっちのデータのクロスからはこう解釈することが充分可能だ、と言った具合に返答していきます。
大嶽さんのストーリーテリングな解釈というのも頭を刺激してくれますが、彼のは一種の名人芸で、再現不能なのでマネが出来ません。それでも宗前は必死の訓練で、大嶽さん独特の「カ」行の発音だけできるようになりました。例えば「社会主義」と言う時に「しゃkhaーいしゅぎ」と発音します。カ行音に微妙な「h」音を混入し、長音を入れてちょっとバタ臭く発音すればあなたも大嶽さんです。
村松さんのデジタルっぽいようでアナログな解釈も思わず聞きほれてしまう見事な「芸」でした。もっとも、修士のころ今は東大で教鞭をとる田辺さんから、計量系・数理系の研究も、最後の解釈の部分はアナログなんだよ、そこが「芸」なのだ、と聞かされたので、手法はともかく結論へ至る研究の戦略というものに算数系と国語系の違いなどそれほどないのかもしれません。村松さんの政官関係の解釈には、やはり達人の持つ「味」があって、かっこいいなあ、すげえなあ、という思いを強くさせる何かがあります。
でもそれってなんなんだろう?何が村松さんをあんなに元気にさせてるんだろう?とひたすら考えていると、会が終わりに近づいたときにこう言いました。「打倒、辻なんだ」、と。続けて、自分が若いころ、いかに辻清明の行政観にしびれるような影響を受けたか、だからこそその通説をひっくり返したい、と強烈な情熱を持ったか、ということを簡潔に話されていました。言外に、今やほとんど通説となった自説を激しく攻撃し、しかもそれはかなりの真実味を帯びているような年少の研究者からの対立仮説があったなら自分はもっと燃えられるのになあ、と言っているようでもありました。
というわけで、会の後半30分は、ひたすら村松トークに身を浸しており、その弁舌に聞き入ったからでしょうか、研究棟の一階でタバコを吸っていたときにゾロゾロと集まってきた村松シューレのみんなに「いやー、村松さんって話が流暢で聞きやすい!」と言うと、みなが凝固していました。何を言ってるの、ソーマエ君とニヤニヤ笑われつつ、またまたぁ、ホントは刺したいほど見事な弁舌、だからみんなもいつかは村松の背中を刺したい!んでしょ、とは思ったけど言いませんでした(笑)。
しかし、リバイアサングループをぶっ倒すというのは、今後の学問状況を見ると難しいかもしれません。話は簡単で、たとえば政官関係で辻先生は「官が強い」といい、村松先生たちは「政も強い」と言っちゃったら、あとは何も残りません。「最近は再び官が強いみたいよ」とか「いや、同じ『官』でもMOFが強いじゃ〜ん」「いや、事業系もすごいでごわす」「はいさい、『地方政府』も忘れちゃいかんわけさぁ」「のーのー、NPOもヨロスグだっぺした」となると、日本の政治生活を俯瞰するような大きな視座は提供できないのが当然であって、もしもそれをやろうとするとかなり大きな研究プロジェクトを組むか、妄想じみた検証不能なことを言うか、となります。60年代の学問の生産性は狂気のようだった、と宮台先生は語りますが、その薫陶をモロに受けて先達に迫っていったリバイアサン世代にはある種のうらやましさを感ぜずにいられません。って、なんだか世代論の負け惜しみみたいでかっこ悪いな・・・。
おそらく政治学の現状をグラっと揺り動かすような視座は、政治学の外側から来るような気がします(内部からの最終インパクトはロウィかなあ・・・)。いや、合理的選択などを見ていると、現に経済学から既にその波はきていると言うべきでしょうか。ダールがかつて言った「政治はサイドショウ」という認識を進めていくと、メインショウは政治学の対象になっていないわけですから、社会学なり経済学なりのほうから、サイドショウのレンジやスコープを規定するような大きな理論が生まれて、それに附属する形で政治認識の刷新が図られる、ということあたりが近未来図なんじゃないかと思いますが、いかがですか、解説の加我さん。
プレース、プレース。中盤の底の足が止まっちゃあかん!
あ、そうですか。じゃ、締め切りの近い原稿でも書いてみようか・・・