誤字脱字が大好きなソウマエです。故意の鼻とはなんでしょう?私にもよくわかりませんが、強いて言うならその昔、ベルリオーズも罹患したと言う悪性梅毒に自分からかかってしまう、と言うことなんでしょうか。よく分かりません。とりあえず桂三枝のイントネーションでお読みください。
僕が12歳から18歳まで通った学校は、やたらとリベラルな学校で、上下関係とか抑圧とかそういうものがないところでした。そこで、厳しい上下関係にあこがれて、高校二年の頃からデニーズというファミリーレストランでバイトをはじめました。ここは非常に厳しくて、ついついハマってしまい、その後仙台に行った後もあしかけ7年(81年春から88年まで)働いていました。当然、仙台にいるときは休みのときに帰省して、ついでに仕事をすると言うなんだか分からないパターンです。これじゃあ、出会いもないですよね(苦笑)。
二浪目の秋から、当時働いていた埼玉県和光市にある店に、新しい副店長がきました。立教大学セントポール・ラッシャーズでラインバッカーだったツクキョ・サダユキさんです。本当は津久居貞之さんですからツクイさんですが、ふざけてそう呼んでいました。ツクキョさんと出会って、「意気に感ずる」ということは、俺みたいなダラダラした奴でもあり得ることを痛感しました。
ファミレスのコーヒーはっぺんに10人分作ります。意外にも、作りたてはかなりおいしいです。コーヒー大好きなソウマエは、できるだけ客にいいコーヒーを飲んでほしいなあ、と、色やニオイに細心の注意を払い、マニュアルの30分廃棄などは無視して五分だろうが十分だろうが、色と香りがおちたらどんどん捨てていました。
ほら、よく高速のSAやPAに煮込みコーヒーがありますよね?カップ二杯分ぐらいの量を30分ヒーターに乗せてるとこうなります。マニュアルは目安に過ぎない。そうは言っても、コーヒーに無関心な女子高生のバイトウェイトレスたちに強制したり、自分で気づけと言っててもしょうがないな、とも思っていました。単なる個人のこだわりとしてバタバタしながら仕事をしていた20歳の秋のことですって俺もバイトだよ、そういえば。なにを正社員みたいなことを言ってるんだろう?
バンバン捨てていたらコストプッシュしますから、各セクションごとに置かれているコーヒーマシンを一台にまとめて、その分走り回るわけです。ある日、ツクキョさんが言いました。
「オマエがコーヒーにこだわって仕事をしているのはいいことだから、そのままやっていけ」
あれっ???俺、ツクキョさんにそのこと話してないぞ?何で分かるんだ?
たぶん、普段は一切無駄な動きをしない僕が、なんでバタバタしてるんだろう?と思って観察したのでしょう。仕事をしていてうれしいのは、密かに自負を抱いている小さなこだわりを、正当に評価されたときだと思った瞬間でした。
さて、先週の土曜日に、京大で関西行政学研究会という小さな研究集会が開かれました。仙台にいたときから、タケ師匠より関西の行政学者は優秀だし熱心だとは聞いていましたが、特にモデリングなどに対する評価が厳しいらしいと聞きつけ、さっそく参加することにしました。
う〜〜、関西空港12時10分のフライトですから、12時18分発「はるか」には乗れません。クソ、これで、ANA492便とはるか22号の組み合わせは三勝四敗の負け越しだ・・・。というわけで30分ほど遅刻して京大法学部会議室です。立命館の院生、森さんの発表です。この人の論文は、春休みにシャットシュナイダーの名前を検索にかけてヒットした、立命の紀要『政策科学』で読んだことがあります。環境問題とシャットシュナイダーの組み合わせが新鮮でまろやか・・・すいつくような素晴らしい舌触りでした。
森氏は、大人しい関西人でした。列席者からのガンガンと浴びせ飛ぶ質問に対し、ゆっくりテイネイに答えながら、決してダウンしないところがただ大人しいだけじゃないな、と言う感じでよかったです。以前、ある研究会で2RTKO状態になったことのある小生は、もっと奮起しないといけないと思った夏の京都の午後でした。
懇親会で、前からなんとなく好きだった北山さん@KGの隣に座っていました。今日こそ思いを告げようと、サンリオの便箋につづったラブレターはカバンの中に入っていますが、なかなか出せません。
北山さんに好意を持った経緯が自分でもよく分からないのですが、たぶんマスターの頃、氏が書いた法学論叢の政府間関係の論文を読んだこと、AERA別冊に掲載された写真を見たこと、僕のHPの掲示板「山紫に水清く」にナイス妄想を書いてくれたことなどが複雑に絡み合っていますが、どの要因が独立変数で、どれが従属変数かについてはなお一層の検討を要します。
北山さんは論文に引用する外国人の著作を、ほとんど和訳します。例えばポール・ピーターソンのCity Limits や When Federalism Works? をわざわざ『都市の限界』『連邦制がうまく働くとき』とするのです。『都市の限界』はともかく、後者の書名をそういうふうに訳するということは、意図的にやっているに違いない。そして、日本語の文章の中でアルファベットはおろか、横文字カタカナも使うのがいやな小生は、そこになんとなくマニヤックなこだわりを感じまして、修論では一様にその和訳を借用した次第です。
突然、座敷では宮本憲一さん(財政学者)の話になりました。宮本さんは、まあ、リベラル左派のノン・マルキストという位置づけをされることが多いようですが、僕は大学三年のとき、彼の講義を受けたことがあります。財政学講座が仙台では空席になっていて、宮本氏が集中講義できたのですが、彼の講義には非常な感銘を受けました。
というのは、彼はもっと規範的というか自らの政治性を露にした講義をするだろうな、と思っていたのですが、講義の中で特に右派と呼ばれる経済学者の学説を紹介するときに、とてもフェアな紹介をするのです。たしかシカゴ学派の負の所得税構想を説明したときだったか、「彼らは彼らなりの動機に基づいて、こうすればより有効に福祉が配分されると考えている」と述べて、そののち、自分なりの批判的解釈をしたような気がします。
なんてフェアなんだ、これが学者ってもんなのか・・・といたく感動した14年前の夏でした。北山さんに向き直り、「実は僕、学部時代に集中講義で宮本さんの授業受けたんですよ」というなり、彼は即座に返しました。
「宮本さんは党派的な講義をしないよね」
ああ、もう、俺をどうにでもしてください。これが寸鉄人を刺すっていうことなの?ねえ、教えて、マコ。ミコはとってもつらいから・・・などと「愛と死を見つめて」ごっこしてる場合じゃねえやい。とまあ、かくして、実は研究の世界では、各人が持っているコダワリを発見する瞬間、できればそのコダワリを自分の中にあるものと共有する瞬間が麗しいものなのだなあ、と感じながら、たらふく食った百万遍の居酒屋の夜でした。ところで北山さん、和訳にかんする僕の推測は正しいのでしょうか?正しかったらいいな。間違ってたらごめんなさい。
というわけで、今日はある飲み会の模様を中継してみました。
そういうことなんですよ、江戸川さん。