沖縄タイムス「時事こらむ」2005年06月25日

知識と社会と大学と

それは単なるブームなのか、それとも今後も続く新しい流れなのか。ここ数年は、国公私立大学を問わずウチはこれだけ世の中に役立っていますと社会貢献をアピールしている。学費、補助金、運営交付金といった形で高等教育にはかなりの金額が投入されているから、社会の期待に向き合う必要は確かにある。とはいえ、例えば私の専門である政治学はどのように社会貢献できるのか判然としない。自省の念も込めて、大学と大学人は社会からの公的課題解決という要請にどう関われるのかを考えてみよう。

政府(役所)は公的課題を解くために必要だ。これが一年を通じて私が主張したことだ。しかし立案から実施まで役所が全部やるのも現実的でない。政府に期待されている役割は、解決策を考える場の中心になることである。情報が政府に集まり、蓄積していくうちに手を打つか打たないか、打つならどう打つか、といったことを、種々の専門家も交えて議論していく。役所は正解を知るよりも、正解に至る道筋をつけることを重視しなければならない。

大学は、「正解を知る人」をたくさん抱えている。理工系は特にそうなのだが、高い水準で研究を続けていれば、答そのもの、あるいは答に至る重要なヒントを提供できる。ただし、全国的には理工系研究者を多数有する大学は例外的で、大学の社会貢献が正解の提供のみにあるならば、多くの大学は社会的な意義を持たないことになる。

大学が持っている本質的な強みは、教育研究機関である点にあると私は考えている。大学では答の不透明な問いを解く教育を行う。権力を持つ人と持たない人の違いは何か。誰が権力を持っているのか。どうしてこの政策はうまくいかなかったのか。政治学ではありふれているそれらの問いに、確定的な答はないから、教員は「正答」を知らない。ただし自身の研究を通じて、分かっていること/いないこと、今までどう攻略されたか、といったことは知っているから、学生たちが効果的に研究を進める手伝いはできる。

公的課題で一番重要なのは問題そのものを認識し、問題が何によって引き起こされているのかを根底から考えることだ。要因が分かれば解決の方向性は明確になり見当違いは起きにくい。無論、解決策の具体化自体たいへんな任務だが、いまの自治体政策においては問題の構造化が雑で、政策として迫力も効果も失っている点が最大の問題だと私は考える。

この状況では対象を的確に自力で構造化していくことが求められ、それは大学という存在が本質的に得意とすることだ。解答に直結しないが、陳腐にならない長持ちする能力である。私たちは、これから長い社会人生活を送る学生たちに必要だと考え、そうした教育を行っている。同様に、大学が社会からの期待に応えるとき、道筋を一緒に考えることで、協力を要請する側に長く残り、大学にとっても自分たちのコア・コンピタンスで協力ができる。

組織において重要なのは、現場のメッセージを読み取り、学習を行い、絶えざる改良を続けることだ。琉大で教壇に立って、政治学を専攻する学生と同僚からそのことを改めて教えられた。これらの人々への感謝と、自分もその一員であることの誇りを記して連載を閉じることにする。