沖縄タイムス「時事こらむ」2005年01月22日

自治体運営のわかりやすさ

やたらと横文字を並べるのは問題だし、言いなおせるなら平易に表現するほうが言葉遣いの一般論として正しいだろう。だから自治体の計画や広報で「行政語」を分かりやすくしようという動きは悪くない。

もっとも、行政のワカリニクサは言葉遣いのせいとは限らない。多くの市民にとってその問題が自分にとって切実であれば、多少の専門語などはすぐに習得してしまうものであって、それでもなお判りにくいことはたくさんある。行政というシステムそれ自体が複雑だからだ。

例えばタテ割り行政という仕組みである。保健や福祉という分野は国、県、市町村にまたがるタテの系列で所管が決まっている。全国各地の自治体、県、そして国の間でさまざまな情報が共有されるためにはタテ系列というのはそれなりに理に適った仕組みである。また、ある目的を達成するための誘導策として補助金を出し、本来の政策意図に沿った執行を監視するのも筋は通っている。

確かに市民の生活はタテ割りにできない。例えば生活者や企業にとっての「水」とは、蛇口をひねればジャーと出てくるアレであって、その所管が厚労省か経産省か農水省かどうかは関係ない。安全な水を安定的に安く供給して欲しいのだ。さりとて、もしもでたらめな需要予測に基づき工業用水の補助金を申請し、いざ交付されてさっさと転用できるならば公金費消の規律は存在しない。タテの系統で公金を管理するのはそれなりに妥当なのだ。

行政に問題があるとすれば、その真因はタテ割りにない。企業を含め大組織は何らかの組織割りが必要で、それは多少とも専門領域別のタテ系列にならざるを得ない。従って部外者お断りの「柱状化」が生じる危険もある。

無論、健全な組織ではこうした弊害は起きないようになっている。ひとつは「横糸」を紡いで「柱」をまとめる。しかし最も重要なことは(官民問わず)経営幹部が説得力のあるビジョンを提供し、その方向に基づいて各系列間の経営資源投入に関する調整を行うことである。メリハリをつけることもその一例だし、工程表としてのタイムスケジュールを明示することも必要だろう。

いずれにせよ、やがてわがまち(県、国)はこうなるはずだ、そのために今、この事業を実施して地域の問題点を埋めている、という形で自治体の政策は構成されなければならない。住民とその代理人である議員は、それがあって初めて「その作戦は有効でない」とか「目標自体がおかしい」という議論に当事者として参加できる。

今まで述べてきたような意味での調整は、自治体には欠けている、その責任はタテ割りに慣れきった職員よりも、方向性を明確にしてこなかったトップたちがより重く問われる、と私は思っている。一方で市民は、行政のトップに対して工程をもっと明確にしてくれと要求してもいい。ある時期マニフェストが浅薄な流行を見せたけれども、自治体の未来図を描くときにこそマニフェストは威力を発揮し、本当の意味で行政がワカリヤスクなる道具だということを有権者である私たちは知っておいてもいいと思う。