沖縄タイムス「時事こらむ」2005年9月23日

それは夜勤を終えてからの睡眠が醒めた午後だった。大学を休学して東京のレストランで契約社員をしていた一九八六年の七月、史上二度目の衆参同日選挙は中曽根康弘首相率いる与党自民党が三百議席を得て圧勝したのをニュースで知った。議席を激減させる諸政党の中で公明党が微減にとどまったのも先日の第四十四回衆院選結果と符合する。中曽根首相は「左にウィングを伸ばした」、つまり、従来社会党(当時)などの野党に糾合されていた都市中間層を自民党に引き入れたと豪語した。

都市部の有権者はしがらみがないから支持政党に忠誠を尽くさない。こうした無党派層の重要性が増して以降、山が動いて参院自民党が惨敗したり、新党ブームが起こったり、選挙結果は衆参を問わず劇的に振れ始めた。まして九六年衆院選からは小選挙区制が導入されている。

小選挙区制は小さな変化をわざと大きくする制度だから、スイングと呼ばれる大きな変化が生じて当然なのだ。さらに「一票の格差」判決以後、代表選出は人口比例の、ということは都市部からより多くの代表を選ぶのだから、中央から遠い地域の利益と反する政策が打ち出される可能性はただでさえ高い。

スイングの振れ幅が大きくなれば、政権を目指す党はますます都市部無党派の歓心を得ようとする。小泉自民党であれ前原民主党であれ、地方にとって「小さな政府」論はあまり明るい話ではなさそうだ。だからこそ、地方自治が大切なのだ、と私は思う。

自治体の政治は生活の政治、身近な問題の解決過程だ。中央政治の振れ幅が大きくなり、その争点は重要だが生活直結でない争いかもしれない。私たちの目の前には地域の課題が残されている。それは私たちが自ら考え、自ら調べることによって達成されなければならない。

たとえばごみの処理費がかさんで仕方がないときは、焼却ごみ量を減らし、リサイクルを推進するしかない。そのとき熊本県水俣市で行っているような二十六分類の分別回収をすればごみ処理コストが劇的に低減するのは分かっている。だが二十六種類もイチイチ区別するのはたいへんだ。「正解」であっても誰も協力しないなら公共政策としては意味がない。

自治体ごとに地域性も異なるのだから、自治体政策は自分の身の丈に合わせた調整が必要だし、調整の過程を通じて住民や企業が納得していくことが政策の効果を約束する。そこに必要なのは劇場と観客ではなく、討論と情報と妥協を行う当事者たちである。

自治体の財源は私たちの財布と同じように乏しい。できることは自ら行う中で、それがないとどうしても日常生活が支えられないものを自治体の責任で提供する仕組みが求められている自治だと思う。そのためには「勝ち組=負け組」といった貧しい物言いを越えた地域全体の連帯が必要で、厳しい戦後を皆で耐えてきた沖縄はそれを発信し、主張する資格がある。

そうしたことを改めて気づかせてくれた今回の衆院選の結果は、地方自治を学ぶものにとって得がたい契機だったと考えている。