めいぜんりょうのひび

明善寮は東北大の寮なのですが、僕が入寮した頃は建ってから3,4年しか経ってないのに、

毎夏恒例の鹿児島市内集中豪雨の後

のように汚かった。個室・受益者負担・入寮選考権なし・食堂なし、のいわゆる新規格4条件寮だったが、それはそれはみんな和気藹々とやってたのである。

4月 とりあえず寮に入った。もともと

サワヤカな好青年だったボク

はすぐに寮の厳しい生活態度にもなれた。寮においてはいろいろと厳しいおきてがある。例えば麻雀の誘いを断らないこと、4月は酒を飲みに行くことを断らず、しかも新入生はお金を払ってはいけないこと、部屋に鍵をかけないこと

(ただし入室者はノックをして数秒おいて入ること)、

語学と体育を除き授業に極力出ないこと、夜寝ないこと、朝起きないことなどなどである。

それまでのボクは、

浪人という健康的な生活

を送っていたためこうした習慣には何とかついていくことができたが、中村君(盛岡一高卒)や芦野君(山形南高卒)などはたいへんだったようだ。接点はないのだが、美津濃さん(仮名)や、トム・クルーズさん(仮名)が住む105号室に入り浸るようになった。実は彼らはボクが一浪目に通っていた駿台のまったく同クラスだったことが判明。

5月 寮歌を歌えるようになる。ただし、寮歌に入る前に長々と口上を述べる『巻頭言』は、寮自治会の委員長(不在のときは副委員長)以外歌うことは許されない。ソウマエはどうしてもこれを歌いたいので、10数年後、「披露宴に限っては新郎が巻頭言を歌ってもよい」という風習を3年かけて定着させ、自分の結婚披露宴で思い切り歌った。また、この時期は授業料免除願いを出す時期だ。寮生は究極のプロレタリアートなので、皆ビンボー自慢が半端ではない。何しろ両親がいるボクは

ブルジョワ呼ばわり

される世界だ。ギリシャ人さん(花巻北高・経済学部、仮名)などは実家に仕送りをしてたもんなぁ。でもなぜか寮内にはクルマもちが多かった。きっとみんなくじ運が強くて宝くじであてたに違いない。

7月 生徒会選挙に出る。やはり学生の本分は勉強と運動である。しかしそれ以外にも学校生活の充実を目指し、掃除をきちんとする、とか、ハイソックスはいけない、とか、図書室の本の返却をちゃんとやろう、とかいろいろと学生の自治を考える必要がある。僕もこういうことを考えて立候補したが、惜しくも負けた。ホッとした。

8月は埼玉に帰り、デニーズでバイトをしてしこたま金を稼いだ。当時、仙台のバイト相場は時給450円、デニーズでやりゃあ650円はいただけるのだ。しかも

ピューリタン的なボク

は、バイトの女の子にも目をくれず働きつづけた。中高一貫の男子校育ちの悪いところはこういうところだ。恋愛にミョーにうぶなので、なかなか切り出せないか、またはひとたび切り出すとストーカーになったりする。

9月になって寮に戻ると突然ゲル幹(会計担当)の院王出界蔵(いんのうで・かいぞう)がボクを拉致した。

「オイオイ、なんだよ、まだ俺委員長の殺気山留一(龍ヶ崎一高・工学部)サンに挨拶してねーよ」

「バカ、ソーマエ何言ってんだ、それどこじゃねーよ」

「なに?」

「殺気山留一(龍ヶ崎一高・工学部)サン、嗅覚派に入ったんだよ!」

「え!まじで!!」

殺気山留一(龍ヶ崎一高・工学部)サンは物事を突き詰めるタイプの誠実な人なので、ありうる話だ。しかしあれほど

パチンコと麻雀とAVの好きな彼

が、人民のために身を捨てて、朝から生協食堂にビラを撒いたり、原理研を追い掛け回したり、嗅覚派のキビシイ活動に耐えられるのだろうか。いや、あの人なら、でも、いや・・・・あ〜、アタマがまとまらない。

そ、そこへ、殺気山留一(龍ヶ崎一高・工学部)サンが!

思わず目をそらしてしまうソウマエでした。

もちろんこれは印王出界蔵の作り話だった。みんなでグルになっていたのだ。グルといってもライフスペースのあの人じゃないよ。いまだに殺気山留一(龍ヶ崎一高・工学部)サンと会うと「テメーはあの時目をそらしただろう!」と夜を徹して責められちゃうのだ。でもボクには言い返す言葉がないんだもん。

10月に入ると、真面目な学究肌の多い寮生の中には、もう少し基礎的な勉強を続けたい、特にドイツ語を学びたいと考えて、さらに一年学問を教養部で続ける希望者が出始める。たいていはその素養があることに気付かず、教師から「キミはもう一年やってみたらどうか」と

善意あふれる申し出

を言い渡されるのだが、85年度におけるこうした割合は最終的に50%近くまで上った。つまり、70名強の2年生中、34名が教養部にお残りになられたわけだ。こうした人々は、秋の段階で留年内定が出ると

「確定的留年者同盟」(略称確留同)

を結成し、さらに、2年の初頭で必須科目登録を拒絶されたり、体育を落としたりすると絶留同(絶望的留年者同盟)への

無償アップグレード

が許される。筆者の住むブロックだと佐々木ペニス氏(本名佐々木聖喜)が確留同に加盟していたが、その他理学部化学科の知花 沖さんも加盟が近いとうわさされていた。知花さんは留年確定の絶望ゆえか、「おれはちば・なおき だ!」と錯乱したことをよく言っていたが、誰も取り合わない。なお、彼の卑劣な確留同への裏切り、すなわち学部行き策動はのちに革命的留年戦士ソウマエの決死行為により明らかにされるが、そのことはまた別の機会に譲る。

 

(続く)